ある日、北島亭で「かすべのムニエル」を食べた。バターを焦がさずに、魚の皮は香ばしく、身はしっとりと火を通す。バターは透明なまま、コクだけを魚に与え、淡泊ながらコラーゲンをたっぷりと持った、かすべのうま味を膨らます。
バターの甘みとかすべが、舌にほろりと崩れると、バターと手をつないだ海の豊かさが顔を出し、美味を感じる本能をぐさりと刺す。
そこには、ムニエルとは何か、フランス料理とは何か、という答えがあった。
北島亭の料理は、どの皿も、食材が「どうだっ」と迫ってくる。そして食べる度に、我々が他の命を絶ち、命を紡いでいるという実感が湧き上がる。
「最近元気がなくてね。元気をもらいに来た」と言うお客さんが多い、と聞くのもそのせいだろう。フランス料理は、活力を体に注入する料理である。その想いが、このミニャルディーズにも溢れている。
サブレ、ドフィノワ、クロカンザマンド、ノアドココといった焼き菓子と果物が、皿一杯に盛られている。「北島亭」の料理は、いずれも堂々たる量がある。その量でしか感じえぬ味わいがあるからである。しかしそうした料理を食べ、デザートを食べた後に出されるのが、この皿なのである。1割強のお客さんは完食するというが、大抵は残りを包んでもらい、持ち帰る。
多くの菓子を作るのは、相当な手間だろう。しかしどの菓子も、菓子担当のスーシェフが愛情を込めた、誠実な味わいがあって、気持ちが温かくなる。
そこには、せっかくフランス料理を食べに来たのだから、沢山食べていってください。という想いが込められている。
「フランスでもこんなことはやっていない。でもうちは、人数が少なくて、行き届かない部分があるから、少しバタ臭いけど、お客さんに喜んでもらえばいいと思ってね」。北島素幸シェフはそういう。
「それに63歳になって思うことは、儲けとかを考えるんじゃなくて、お客さんに喜んでもらえばそれでいい。それで自分が食っていけて、今日一日が自分らしく終われればいいと、思うようになったんです」と、笑う。
北島亭では、一切の下準備をしない。注文が入ってから魚をおろし、肉を骨からはずし、野菜を茹でる。それもまた大変な仕事である。他店より遥かに、仕事の迅速さと正確性が常に求められる厳しい厨房を、少ない人数で昼夜回している。
「アラミニッツだから、仕事はぶれる。でも全力でやりたい。全力でやらないと意味がない」と、シェフは言う。
それもまた愛情である。お客さんに喜んでもらおう、そう願いながら料理に込める愛情である。
豊富なミニャルディーズも、その具現の一つである。「人生も料理も愛情、そしていっぱいのロマンス」。シェフがいつもサインに添える心根が、山盛りの菓子には満ちている。
Mackey Makimoto
立ち食いそばから割烹まで日々飲み食べ歩く。フジテレビ「アイアンシェフ」審査員ほか、ラジオテレビ多数出演。著書に『東京 食のお作法』(文芸春秋)、『ポテサラ酒場』(監修、辰巳出版)。写真左が著者、右は北島さん。
北島亭
東京都新宿区三栄町7 JHCビル1F
03-3355-6667
● 11:30~14:30(13:30LO)18:00~22:00(19:30LO)
● 水、第1・第3火休
● コース昼3500円~、夜8000円~
● 18席
本記事は雑誌料理王国第240号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第240号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。